Hello, myself

自分と向き合う。そう決めました。少しばかり、そのプロセスにお付き合いください。

Netflixドラマ「13の理由」を見た②

 

「自分に正直に生きる」

これをどれだけの人が実行できているのだろう。

 

普段、どれだけの自分の感情を、否定しているのだろう。

よくわからないけど、自分が確かに感じていることを、

うん、自分はこういう気持ちだって、受け入れられないことがある。

 

惨めな気持ち。

寂しい気持ち。

 

こんなやわな人間じゃないって、なぜか自分で自分に強がって、

そして周りの人にも強がって、

で、苦しくなる。

 

自分の弱さを認められないと、苦しいの。

弱さを認める、ただそれだけなのに、

その自分の弱さを見ないようにするために、

とっても苦しい思いをしていたりする。

 

なんでだろう?

認めちゃうと楽なのに、なぜだろう?なぜ強がっちゃうのかな。

 

 

私には一つの結論があるの。

 

「私を傷つけられるのは、私だけ」

「私を辱めるのは、私だけ」

 

もし、誰かにひどいことされても、その時点ではまだ私は傷ついていない。

自分で「私はこんな扱いをされる人間だ」って、自分をジャッジしてから、

初めて「私」は傷つく。

 

言ってやればいいのよ。クソヤローって。

 

誰も私を理解してくれない時、

「私は理解されない人間だ」

「私は誰にも思いやってもらえない」

「私はそんな無価値な人間だ」

こうやって、自分で自分をジャッジして、

初めて自分を傷つける。

 

自分で自分を理解していれば、十分。

 

でも、自分で自分を理解するのって、結構大変なんだけどね。

 

このドラマ、「13の理由」を見て、

自殺した子がそれを知っていれば、自殺なんてしなかったんじゃないかなって、思った。

 

でも、実際その子と同じ扱いを受けたら、

私はどうするのか、それはわからない。

 

特にレイプされた時の気持ちなんて、

正直、想像もできない。

 

その時、「私はそんな扱いをされる人間だ」って思わずにいられるのか、

わからない。

 

Netflixドラマ「13の理由」を見た

誰でも、「死にたい」って冗談でも言ったことがあると思う。

それって、冗談なんだけど、100%冗談かって言えば、

実際ここで死ねたら、どんなに楽なんだろうって思うことがあるはず。

 

明日テストなのに全く範囲に追いついてない。

進路どうしよう。

親の期待に応えられない自分が情けない。

仕事が嫌だ。

彼氏と別れた。

 

だらしない奴だって思われる。

どうせ誰にも愛されていない。

もうどうでもいい。

逃げ出したくても逃げられない。

親に心配かけるわけにはいかない。

 

そんなこんなで、今死ねたら、どんなに楽だろうって、思う。

ずーっと心の底まで辿ると、正直言って、本気で思ってる。

死にたいって。

 

でも、それを実行に移す勇気があるかとか、

周りの人を悲しませてまで、そうしたいかとか、

かなりの大ごとになるってこととか、

色々あるから、実行しようなんて軽い気持ちでは思えないよね。

 

でも、どうだろう。

死ぬのが全然苦しくなくて、

ゲームのリセットボタンを押すみたいに、楽に死ねるとしたら、

死ぬのがタブーだと思われてないとしたら、

この世界のどれくらいの人が、死を選ぶのだろう。

 

まあ、現実、死は痛くて苦しくて、

ゲームのリセットボタンに例えるわけにはいかないんだけど。

 

とにかく、死にたいって感情、そんなマイノリティじゃなくて、誰もがメジャーに持っている感情だと思うんだよね。

 

自分でもその感情を直視しちゃいけない気がして、

その感情を持っていることを認めちゃいけない気がして、

否定してるけど。

 

そうやって、生きてる。

死を否定して、生きてる。

 

私は大丈夫。死にたくなんてない。いつかはいいことがある。

 

こうやって、生きてる。

 

苦しいよね。生きるのって。

全部が楽しいことじゃない。

この先どうなるかもわからない。

 

テレビで誰かが言っているのを聞いたことがある。

生き抜くことに意味があるんだって。

生きる意味とかじゃなくて、

最後まで生き抜くことに意味があるんだって。

 

辛いこととか、苦しいこととか、たくさんあるけど、

幸せなことも、生きていてよかったって思うことも、

少なく感じるだろうけど、でもそういうこともあって。

 

生き抜くことに意味があって、

最後まで生き抜いてみて、初めてわかることがある。

きっとそうなんだろうと思う。

 

what i want

もし嫌われないとしたら、どうしたいの?

 

好きな人に、ぎゅーっとハグする。

くっつく。

 

もし失敗しないとしたら、何したいの?

 

世界中の、困っている人たち、無下に扱われている人たち、貧困に困っている人たちを救いたい。みんなが幸せになる方法を探したい。

 

もし、お金がたくさんあって、働かなくてもいいとしたら、何したいの?

 

寝たい。美味しいものを食べたい。映画をたくさん見て、本読む。

1人でじゃなくてね。

愉快な仲間たちと、一緒に過ごして、

でも多分ひまだよね。なにもやることがなかったら。旅でもするかも。

 

ほんとに、どうしよう。

働く必要がなかったら、なにする?

 

生まれながらにお金持ちなひとって、どういう感覚なんだろう。

そういう人を参考にしてみようかな。

 

お金あげないよって言われても、

その仕事しますか??

 

お金あげないよって言われても、楽しくやっちゃうことってなんだろ。

 

私の場合は、

英語の勉強。

映画を見ること。

本を読むこと。

部屋の模様替え。

ショッピング。

メイク。

海に行くこと。

自分のイメージを膨らませること。

 

 

 

my feelings, my attitude

自分が今どんな状態か。

 

それらは全て、私が物事をどう捉えるかで決まる。

独立した物事。それに意味を与えるのは、私。

 

そして、どんな意味を与えるのかは、

私が私にどういう評価をつけているかが、反映される。

 

友達に無視された。

それにどんな意味づけをするか。

もし私が、「私はいじめられる人間」と思っていて、

「いじめられる人間なんて価値がない」と思っていたら、

その出来事は、私にとってとても辛い出来事になるだろう。

 

一方、もし私が、「私は素晴らしい人間」と思っていたら、

その出来事は、単に私の声がたまたま聞こえなかっただけだろう、みたいに、

なんの意味もなさない位の、ちっぽけな出来事になるだろう。

 

さらにその意味づけは糸を引いて、

「私はいじめられる人間」と思っていると、

友達に無視されたという出来事から、

やっぱり私はいじめられるんだ、と思い、萎縮し、自己主張のできない、いかにもいじめられっ子の様な行動を自らしていく。

 

「私は素晴らしい人間」と思っていたら、

友達に無視されても、これからの行動になんの影響も及ぼさないだろう。

 

前提の、自己評価。

これが、私たちの行動の根本にある。

 

また、例えば、親に進路に関して意見を言われる。

 

もし、私が、「どうせ私は夢もなく、つまらない出来損ないだ」と思っていたら、

過干渉だ!親に反対される。応援してくれない。なんてひどい親なの!と嘆くだろう。

 

一方、私が「私は夢があり、幸せな人生を送る人間だ」と思っていたら、

親も心配してくれている。もっと頑張ろう。人生の先輩としてのアドバイスだ、ちゃんと聞こう。

と思うだろう。

 

でも、無理やり、私は素晴らしいとか、価値のある人間だ、なんて、思わなくていいと思う。そんなの、私には無理。心からそんなビッグなこと言える人なんているのだろうか。

そうじゃなくて、「私は何があっても大丈夫」くらいでいいんじゃないかな。

 

私は何があっても大丈夫。

友達に無視されても大丈夫。

いじめられても大丈夫。

親に認められなくても大丈夫。

親に怒られても大丈夫。

 

だって、大丈夫でしょう。

いじめられたから、何?

親に認められないから、何?

 

私の価値に傷がつくとでもいうの?

いいえ、つかない。

 

なんでかというと、私が傷をつけないから。

誰に何をされても、最終的に自分を卑下して、傷つけられるのは私だけ。

私が傷つけなければ傷つかない。

 

そもそも人間の価値なんてものは、そんなのない。

誰が決めるの。誰の評価が正しいの。

 

そもそも、人間っていうのは、価値をつける様なものじゃないってこと。

評価の対象にもならないってこと。

コンテストの出場者ではないってこと。

良し悪しがあるものではないってこと。

人と比べることもできないってこと。

 

私の価値。そんなものは存在しないってこと。

そもそも、ね。

 

だから、何があっても大丈夫なのだ。

 

私は大丈夫なの。

私は傷つかないの。

 

だから、

私は素晴らしいの。

自信があるの。

 

go away, mom

親の過干渉。

 

無理やり髪を切らされた。

自分の意思は尊重されないんだと感じた。

私の気持ちに耳を傾けてくれなかった。

 

心配が、うざかった。

 

 

これもそれも全部、言い訳に過ぎないのだろうか。

私が何もできない理由。

親のせいにしてるだけなのかな。

 

いつも足かせがあって、自分は自由じゃないって思ってた。

親を心配させる様なことはできない。

親が認めてくれる様なことじゃないとできない。

だから私は何もできないんだよ。

こんだけしかできないんだよ。

 

そうやって、言い訳を作っていたのかもしれない。

 

ビクビクしてるの。親に否定されたくなくて。

愛してるんだもん。それくらい好きなんだもん。

 

だけど、それが裏目に出て、愛が恨みにつながってしまうという皮肉ね。

 

愛してるが故に、自ら縛られてしまう。

そして自らを不幸に仕立て上げてしまう。

そして恨む。

 

そのループから抜け出さないといけない。

 

 

 

 

what is my goal?

私は結局、何を求めてるんだろう。どうなりたいんだろう。

 

私は、英語を勉強するのが好き。

英語を話せる様になりたい。

なぜか。英語の本を読みたいし、映画も字幕なしで見たい。

もっというと、英語を通じて、世界が広がることを求めてる。

 

私はお金が欲しい。

お金がたくさんあったら、自分の好きな人に贈り物を送ることができるし、私が救いたい人に救いの手を差し伸べることができる。美味しいものを食べることができるし、好きな国に旅行できる。家族を持って、子供を養うことができる。子供の好きな道を応援することができる。いろんな経験をさせてあげられる。たくさん映画を見ることができて、たくさん本を読むことができる。

 

私は、愛する人を大切にして、自分のために時間を使えていなければならない。

働いて、お金を稼いで、愛する人を大切にして、時間が十分になければならない。

働くことだけに時間を費やしてはならない。

 

私にとってのゴールは、

 

世界のいろんなものを見ることができて、

家族との時間を大切にして、

たまに映画を見て、音楽を聴いて、本を読んで。

 

 

this is what i don't wanna

私はこれが嫌いなの!!

 

満員電車なんて一生乗りたくない。

 

一人で寂しくベッドに入るなんて最悪。

でも、たまには一人の時間は欲しいけど。

さみしい思いをするのは嫌い。

 

ご飯を誰かと食べたい時に、誰も誘えないこと。

 

つまらない、刺激のない生活。

新しい刺激が定期的にあって欲しい。

 

したくもないことに時間を取られること。

ドキドキすることだけに時間を費やしたいの。

 

不眠に悩まされること。

 

汚い部屋で、掃除する時間も体力もないこと。