Hello, myself

自分と向き合う。そう決めました。少しばかり、そのプロセスにお付き合いください。

お父さんへ④

お父さん。

私はあなたから、

私は尊重されない人間だ。

私は自由じゃない。

そんな価値観を貰いました。

 

でも今ならわかります。

わたしは「勝手に」その価値観を育ててしまっていたこと。

何も、お父さんが私にそう思って欲しくてあんな行動をしたんじゃない。

愛しているがゆえの行動だった。

決して理性的ではないけど、あなたも人間です。感情で言葉を発してしまうこともあるでしょう。

 

でも子供だった私は、多面的に物事を捉えることができなかった。

勝手に自分が否定さたように受け取っていました。

 

そして、今、自分でそれに縛られています。

 

その呪縛を解きたいと思っています。

 

苦しかったね。

嫌だったね。

気持ち悪かったね。

自分で、あの頃の私に寄り添ってあげる。

 

そして、私はお父さんが大好きなんです。

色んなところに連れていってくれた。

たくさん映画を見せてくれた。

たくさん本を読ませてくれた。

かわいい洋服たくさん買ってくれた。

学校に送り迎えもしてくれた。

お小遣いもたくさんくれた。

とっても愛されてた。

 

とても感謝しています。ありがとう。

 

間違って育ててしまった価値観を手放します。

 

私は、自由です。

尊重され、生きていきます。

 

 

 

お父さんへ③

高校生になった頃、私は彼氏ができました。

とても彼氏のことが大好きで、家族ぐるみで付き合っていけたらいいと、思っていました。

 

なので、お母さんにもお父さんにも、付き合っている人がいると、打ち明けていました。

 

そして、彼氏と遊びたいので、彼氏の家に送ってほしいと頼みました。

そしたら、私にとっては予想外に大きな反応が返ってきました。

 

お父さんは、信じられないとでもいうように、

絶対家なんかに行かせられない、と行ってきたのです。

 

部屋にはベッドはあるのか、

そういうことをすることになる、

妊娠して、後悔する

 

そんなことを言われました。

 

私はとても恥ずかしかったです。

心配してそういう事を言っているのは分かっていました。

 

でも、私の中では高校生はもう十分大人で、自分で考えて行動できると思っていました。

お父さんは私を信用していないんだ、と感じました。

そして、性的な部分をお父さんに想像される、それだけでとても気持ち悪かったです。

 

その一件から、彼氏のことをお父さんに言うのをやめました。

 

大学生になりました。

私はお母さんにだけ彼氏がいることを話しました。そしたら、お父さんにもそれが伝わりました。

 

長文のメールが、お父さんから届きました。

 

その頃私は大学の近くで一人暮らしをしていたので、アパートに彼氏が泊まったりしているのか、と聞かれました。

 

びっくりしました。

そんなこと、もう20歳になる女性に、聞くことでしょうか。

もちろん、泊まったりしていました。

それくらい普通ですよね。

 

お父さんにとっては、私はまだまだ子供だったのです。

 

その質問は、私にとっては入って欲しくないボーダーを超えたものでした。

そのメールを見た瞬間、気持ち悪くてしょうがなかったです。

 

とにかくそのメールを早く終わらせたかったので、泊まったりするわけ無い、というメールを送って、終わらせました。

 

人権を侵害されたような、

オーバーに聞こえるかもしれませんが、それくらいの衝撃でした。

 

お父さんには、もっと女性として尊重してほしかった。

 

他の女性に、彼氏とセックスはするのか、なんて聞いたら、完全なセクハラです。

 

いえ、それが娘でも同じです。セクハラです。

 

小さい頃から見ていて、大人になっても子供のままの感覚でいたのだと思います。

 

でも、世の中のお父さんたちに言いたい。

娘と言えども、1人の人間で、女性なのです。

娘だからといって例外とせず、きちんと1人の個人だと、女性だと、認識してあげてください。

 

お父さんへ②

お父さんにされたことで、忘れられない出来事を順々に話してみたい。

 

あなたに対する嫌悪感は、幼少期に始まり、徐々に大きくなっていきます。

 

まず、私は小学5年生まで、お父さんとお風呂に入っていました。

 

正直、小学4.5年の時には、もうお父さんとお風呂に入りたいとは思っていませんでした。

だって、十分1人でお風呂入れる年齢ですから。

 

胸も膨らんできて、毛も生えてきて、

その変化をまじまじと見られるような感じがして、恥ずかしいというか、

もう無邪気な子供じゃなくなっちゃう気がして、お父さんにとって可愛くなくなる気がして、嫌でした。

 

でも、一緒にお風呂に入るのが嫌なこと、お父さんには言えなかった。

子供ながらに気を使っていたんです。

きっと、それを言ったらお父さんは悲しむ。

理由を聞かれたくない。

お父さんを傷つけたくない。

 

だから、一緒にお風呂くらい、気にしてないよーとか、嫌じゃないふりをしていました。

 

知っていますか?

アメリカなんかだと、3歳の女の子がお父さんとお風呂に入ろうものなら、逮捕されるらしいです。児童ポルノ扱いです。

 

でも、女の子側からしたら、嫌と思う子もいるってことです。どれだけ小さくても、女なんです。3歳のころは嫌と思ってなくても、大きくなってから思い出した時に、強い嫌悪感を覚えることもあります。

 

私は、今、お父さんとお風呂に入っていたころを思い出すと、嫌悪感を覚えます。

 

自分の意見は尊重されないってことを、知っているかのように、私は自分の気持ちを押し殺していたのです。

 

さらに、そのころ、一緒のベッドで寝ることもたまにありました。

一緒に寝ていた時、少し膨らんできた胸をちょちょっと触られて、からかわれた時があります。私は、やめてよー笑、みたいに、明るく冗談を楽しんでいるかのように、振る舞いました。でも、内心、とっても嫌だった。

 

そのころ、私はお父さんと私の間に、男と女としての、距離を必要としていたんですね。

 

でも、距離を取ろうとするのは

お父さんを傷つけることだ、と

じっと我慢していたんです。

 

その頃、自分で自分の意思を尊重することすらできていなかった。

お父さんは基本的になんでも買ってくれたし、よくお出かけや旅行にも連れて行ってくれました。

お父さんがどれだけ私を好きか、知っていたから、余計に、お父さんを傷つけたくない、と思っていました。

 

でも実際、私が少し距離をとろうとしても、それを受け入れてくれたかもしれませんね。

ただ、私の勇気がなかっただけなんです。

お父さんへ

自分の心と向き合う過程で、

やっぱりあなたの登場を避けることはできませんでした。

 

お父さん、

あなたは、自分が正しいと信じていて、

私が反抗しようと、押さえつけましたね。

どうしようもないときは、手も出ました。

私も私で、自分が正しいと思うことには、絶対に譲ろうとしなかった。

そこは、お互い様でしたね。

 

でも、私が負けることは決まっていました。

どれだけ反抗しようと、あなたの言うことを最終的には聞かなければなりませんでした。

なぜかというと

「誰に食わせてもらってるんだ」

とういう言葉には、勝てなかったからです。

 

そう、私は働ける年齢ではなかったし、

食べさせてもらっている、

家に住まわせてもらっている、

そういう身分なんだと、思い知りました。

 

自分は自由じゃない。

人間として尊重されない。

 

自分はそんな人間なんだと、潜在意識の中に刷り込まれていったように思います。

 

いま私は、自由になりたいと思っています。

束縛感を感じるのが、何よりも嫌です。

 

大学を卒業して、企業という枠に囚われるのも、嫌と感じます。

結婚も、様々なものに囚われてしまいそうで、できそうにありません。

 

それが、お父さんからもらった、

私は自由じゃない、という前提がそうさせているのか、それとは関係ないことなのかは、正直よくわかりませんが、

 

その前提は、覆すべきだと感じています。

 

私は、自由でいい。

私は尊重される価値がある。

 

そう、信じたい。

 

まだまだ、お父さんに対してのトラウマがあります。まだ消化できていない部分があります。

自分と向き合うために、もう少し、お話しさせてください。

 

 

 

テラスハウス isn't she just a bitch?の回を見て

女には、体裁があると思う。

 

なんかね、絶対尻軽女とは思われたくないの。

 

でもね、実際イケメンに言い寄られて、この人は私の欲望を満たしてくれると思うと、「早くセックスしたい」って思うの。

 

時には、いい感じの人がいても、

こっちもいいな、

あっちもいいなって思うことだってある。

シェリーの言ってたことは、リアルに誰にでもあることだと思う。

普通は自分だけの秘密にして、隠しておくけどね。

 

女にも性欲はある。

気持ちよくなりたい。

男と大して変わらない。

 

でも、性欲むき出しの女に男は全く惹かれない、というか、真剣に付き合う相手としては惹かれないってことは理解できるから、まあ、ありのままの性欲を、男みたいに表に出すようなことはしない。

 

そう、女は男に好かれたいの。

 

でも、男も女に好かれたいでしょ。

 

おんなじよね。というか、何を当たり前のことって感じ。

どっちも人間だし、動物だし。

 

だけど、「男に好かれたい女」って聞くと、

ただの尻軽女って言ってるように聞こえる。

なんかふしだらで、良くないような感じがする。

 

「女に好かれたい男」だったら、

そりゃあそうでしょうよって、肯定感の方が強い感じがする。

 

私は男が好きだ。

世の中から男が消えてしまったら、生きてる意味なんて無いように感じるかも。

でも、男だって同じでしょ。

 

とにかく、女は男を求めてる。

誰でもってわけじゃない。もちろん。

 

自分好みの男とイチャイチャしたいし、セックスしたい。

 

男に愛されてると、幸せを感じる。

 

ちょっと、単純だけど、これは事実。

好きな男とセックスしてる時が、一番幸せなの。

一番っていうと、本当に一番かどうか考えたくなるけど、

「一番幸せに感じる時」っていう賞にノミネート、ぐらいな感じ。

とにかく、幸せなの。

 

思うんだけど、

「恋人が欲しい」がすべてのモチベーションになっている気がする。

もちろん私が、独身で、まだ若いっていうのもあるけど。

 

勉強頑張って、バイト頑張って、就職して、

色々頑張って、

で、私が求めてるのって、結局、彼氏なの!?

 

そう、自分でもびっくり。

結局、彼氏が欲しいの。

 

で、彼氏ができたとするでしょ。

それで満足かと思ったら、

もっと愛して欲しい。

もっと連絡して欲しい。

もっと好きって言って欲しい。

 

の足りない攻撃。

 

結局、何がしたいのよーーって。

なんなんだろうね。

自分でもよく分からない。

 

「辛い時も、笑っていれば大丈夫」なんて、本気で言ってる?

バカじゃないの?

辛い時に、人生のどん底にいるような気分の時に、

「笑え」なんて

 

 

笑えるんだったら笑ってるわ。

 

笑おうとすることすら、間違ってるような気分なんだわ。

 

笑いたくもないんだわ。

 

 

みんな、こんなバカみたいなポジティブ発言、聞いたことあると思うけど、

確かにその時は「もしかしたら笑っていればいいだけのことなのかもしれない」

「笑顔が最大の特効薬なのかもしれない」

って思うかもしれないけど、

 

「フザケンナ」って一方で思う時もあると思う。

 

 

私が言いたいのは、

 

辛くても、いいってこと。

辛い出来事があって、気分が沈んで、生きていけないような気がしても、

いいってこと。

 

そう思うことは許されてるってこと。

 

悲しくてもいい。

愛されない気がしてもいい。

寂しくてもいい。

屈辱的でもいい。

 

マイナスな感情を感じてもいい。

静かに、感じてみる。

 

でも、そのせいで、「私はその程度の人間だ」

なんて自分をジャッジしないで欲しい。

自分を卑下しないで欲しい。

 

そこは、自分で止められるところでしょ。

だって、私は自分のこと大好きなんだから。

自分が何より大事なんだから。

自分を辱められると、何よりむかつくんだから。

 

他人に何かされても、

そのせいで自分で自分の評価を下げる必要なんてない。

そうでしょ?

 

be true to myself

 

それで、自分のその感情を、隠さずに他人にも話せたら、間違った方向にはいかないと思う。

 

親の期待に応えたい。

でも、思うようにいかない。

私、辛い。

 

そんなとき、親に「私辛いの」って言えたら、どんなに楽か。

「お母さんを心配させたくないの」

「お母さんが誇りに思えるような私でいたいの」

「私、お母さんの思うような出来のいい子じゃないの」

「だから私、辛いの」

って、言えたら。

 

もし私が母親で、子供にそんなこと言われたら、

「そんなに頑張らなくていいよ」

「そのままで十分誇りに思ってるよ」

「出来のいい子供なんて求めてないよ」

「私のせいで辛い思いをしないで」

って言うと思う。

言ってあげたい。

 

 

 

 

 

 

 

本当に私が欲しいもの。

お金が欲しい。

いい車が欲しい。

いい家が欲しい。

可愛いバッグが欲しい。

素敵な服が欲しい。

 

それを得た先には、何があるのか。

 

世界中の物という物、全て手に入れらる。

そうなった時、私は何を求めるのか。

 

欲しいもの、全て、完全装備して、どうしたいのか。

 

プライベートジェットで、友達と地中海の綺麗な島にでも行って、ガーデンパーティーして、

可愛い服着て、素敵な彼氏を作って、

子供が生まれて、温かい家庭を持つ。

 

例えば、こんな感じ?

 

私は気づいた。全ての求める体験に、「人」が伴うってことを。

さっき書いたようなことをするには、

一緒に地中海の島に行ってくれる友達がいなきゃダメだし、

愛を誓ってくれる恋人もいなくちゃダメだし、

母親として慕ってくれる子供もいなくちゃならない。

 

その「人」たちがいないと、全て無意味だってこと。

 

というか、私は他の物なんてどうでもよくて、

ただ、「人」を求めているのかもしれない。

 

人とわかり合ったり、愛を誓い合ったり、

そんなことが、私の求めていることなんだろう。

 

私たちは、関わってくれる「人」を

純粋に求めていかないといけない気がする。

お金を経由せず。

 

「人」を求めて、そのためにお金が必要だったら、お金は入ってくるだろう。

 

愛してる人に、愛してるって言いたい。